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H銀行の管理職会と従業員組合が突きつけた、「ウチは(H銀行と違って)大蔵省の大物0Bが頭取でなかったから潰されたのか?」という素朴な疑問に、大蔵省が正直に答えるはずはなかった。
業務停止命令に対する異議申し立ては「行員の怒りの矛先をそらすためのガス抜き」との見方が当初からあった。
しかし、「一日、一0人の顧客が来れば御の字。
定期が満期になった人と住宅ローンの返済以外、誰も来ない」中で、「支庖の士気をどうやって維持するかに腐心していた」この幹部は、「決してガス抜きではない。
逆だよ。
怒りのガスを注入した結果がこれなんだ」と口をとがらせた。
「毎日、ローテーションをつくって、四分の一ずつ行員を休ませていたが、支庖長は休めない。
病気になっても責任上、休めない」(同前)。
液品テレビなどの高額商品をつけて、無理しでかき集めた預金が、いとも簡単に散逸していくのを目の当たりにする日々が続き、気が滅入ってしまったという。
苦しい状況の中でがんばってきて、ボロ切れのように捨てられた行員の怨嵯の声が異議申し立てとなったわけだ。
銀行員らしからぬ直接行動に訴えたのは、よくよくのことだ。
こんな簡単なことにさえ、大蔵省は気づかないふりを通した。
大蔵省は一九九七年二月二四日午後、H銀行の異議申し立てを棄却した。
「一ヵ月後に棄却すればいいんだ」といっていた大蔵省の若手キャリアの言葉通りの結末だった。
管理職会のリーダーの一人がいっていた「行政訴訟」も、和歌山県や和歌山市などの、無言の圧力にあって、結局、断念せざるを得なくなった。
「行政訴訟」は再就職の妨げなる、というのが、県・市の言い分だった。
K副頭取殺しの謎一九九三年八月五日午前七時五0分、K副頭取(当時)が出迎えの車に乗り込んだところを、白いヘルメットにサングラスの中年男が右後部のドアを開け、「部長」と叫んでブラジル製の短銃を三発発射した。
K副頭取は、収容されたNW病院で四0分後に出血多量で死亡した。
車一台がやっと通れるくらい狭い路地で惨劇は起きた。
いまだに犯人は捕まっていない。
「銃の扱いに習熟したプロの犯行」(和歌山県警本部)とみられているが、具体的な犯人像は絞り切れないままだ。
絞り切らないのだ、という冷ややかな見方も一部にはある。
射殺されたK副頭取は、系列ノンバンク二社の経営再建←不良債権の回収の最前線に立っていた。
しかし、回収の手法が荒っぽかったことから、穏健派のH頭取(当時)はいつも眉をひそめていた。
出社するK副頭取を玄関先まで見送りに出ていた夫人が、撃たれる前後の様子をすべて見ていた。
「夫人は犯人の顔を見ている。
顔見知りではないのか」との憶測を呼んだ。
事件を目撃していた夫人が第一報を入れたのが「警察ではなく、Kの側近の家」(H銀の総務担当の幹部)だったことが、疑惑の種を太らせた。
本店の総務部に事件を伝えたのは公用車の運転手である。
K夫人は、事件直後に副頭取の側近と何を話したのだろうか。
K家も側近の元行員も、射殺事件については口を聞きしたままだ。
動機については、三つの説がある。
その一。
Kが債権回収の責任者だったことから、「回収の際のトラブルに巻き込まれた」との見方だ。
系列ノンバンク二社や系列ノンバンクと関西の借金玉、Uが率いるU住建が共同で設立した0ファイナンスの債権回収の際のトラブルが原因だ、との指摘もある。
最も有力なのは、関西系広域暴力団の地元幹部の妻が役員をしていた不動産会社・S土地開発とのトラブルという説だ。
H銀行は、広域暴力団の直系の組の幹部が所有する土地に四億七000万円の根抵当権を設定し、融資していた。
S土地開発はK銀行のY頭取(当時)が引責辞任するきっかけとなった和歌山市内の大規模開発をめぐるスキャンダルとも地下でつながっていた。
「フォレストシティ(もりの都市)」と名づけられたこの計画には、これまでに五三0億円の巨費がつぎ込まれ、このうち三00億円が聞に消えた。
一九九七年一月中旬に同計画の開発許可が和歌山県から下り、これを機に、K銀行系のノンバンクが六00億円を追加融資した。
総額二三0億円。
返ってくるあてのない融資だ。
これでは、盗つ人に追い銭だ。
その二は、直接手を下したのは、海を渡ってやってきた東南アジア系のヒットマン。
依頼者は銀行内部にいる。
それも最高幹部の一人だ、というものだ。
東南アジアには、一00万円も出せば人殺しを請け負ってくれるかプロフェッショナルが数多く存在すると、Kが射殺された夜に、「祝杯をあげた反K派のグループがあった」(総務担当のデイープスロート氏)。
和歌山市斎場での通夜の席で、スピーカーに嘲笑する女性の声が漏れ、会葬者の間で話題になった。
「ヒットマンへの報酬は二00万から三00万円だったそうだ」。
行員の酒の席での格好の話題となった。
半分が事前に渡され、残り半分は犯行直後に手渡されたという、みてきたような解説まで付いた。
第三の説は、「約束手形が落ちなかったため、みせしめにやられた」というものだ。
この場合の約束手形とは、閣の世界に対する情実融資の約束を指す。
副頭取のKに関しては「暴力団関係者との接点が多すぎた」(元役員)との批判が絶えずあった。
閣の世界との古い付き合いのツケ払いが回ってきたという憶測だ。
金額は一0億円とも二0億円とも、当時いわれた。
副頭取は日記をつけていたが、この、黒革の表紙の日記にアングラ世界の人々の名前が、イニシャルで数多く登場してくる。
副頭取のKはH銀行の前身、N無尽の創業者一族で、D大学経済学部を卒業後、K相互銀行に入行した。
Kは小児麻輝の後遺症で右足が不自由で、松葉杖を手放せなかったが、「営業の現場をよく知っていて、強引な取り立てができる点が強みだった」(同行の総務担当)。
反面、それが融資先の反発を買い、閣の経済人の格好のターゲットになった、との見方もある。
K射殺事件の実行犯を特定することは、ある意味ではさほど重要ではないかもしれない。
深刻なのは事件の後遺症である。
一九九三年八月、H銀行のK射殺事件が起きた直後から、「関西のアングラ企業Hに対する不良債権の回収作業が完全に止まった」(関西圏の大手地銀の頭取)。
危ない銀行の代名詞ともなった「FH20」のうち、Hの一つH銀行の資金回収はまったく進まず、これが、関連ノンバンク倒産の引き金となった。
もう一つのHのH銀行(経営破綻し、M銀行←M銀行となる。
第三章「H銀行」の項を参照)や0と名指しされた0銀行も、不良債権回収の専門部隊の腰が完全に引けてしまっていた。
極言するならば、「近畿地方の全金融機関が債権回収競争をいっせいに中止した」(前出の関西の大手地銀の頭取)。
それどころか、経営上のウイークポイントを閣の勢力に握られたいくつかの地銀、第二地銀は、「返済されるあてのない、せられた」(別の地銀の頭取)。
和歌山市内の弱小銀行の副頭取を撃ち抜くだけで、オール関西の企業舎弟とその周辺で轟く閣の勢力が、ぬくぬくと延命したのだ。
いや、延命どころか、さらに焼け太りしていったのだ。
さしずめ、拳銃太りである。
「不良債権回収とは関係ない」H銀行頭取(当時)のHは、K射殺事件直後、こうコメントした。
百歩譲って、事件が不良債権問題と関係なかったとしよう。
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